大好きな5人と、Sexy Zone 5pecial Performance in 東京ドーム へ寄せて

2022年の年末は、思いがけずたくさんの出来事があった。
思いがけずに怒涛で、本当に、夢みたいな5日間だった。
27日に会社のデスクで大切なお知らせのメールを見て、そのまま動画を再生したことがまだ昨日のようで、今もまだ、夢の中だったような気さえする。


メールの文面だけを見てすぐにTwitterのトレンドを見て、そうか、と思ったことを覚えている。
そのままFCページの動画を再生して、色々考える間もないまま、インスタライブが始まった。
ぐちゃぐちゃの気持ちのまま、そこから5人のいろんなお知らせや写真や動画が、これでもかという程たくさん更新された。
こちら側のぐちゃぐちゃの気持ちに、ぺたぺた何枚も絆創膏を貼ってくれているような、そんな気がした。
これもこれもあるから大丈夫だよと言ってくれているような、気が付いたらかなしいの上にたくさんうれしいのプレゼント箱を積み重ねてくれているような、そんな気がして勝手に涙が出た。

大好きな5人がそのまま、変わらずにそこにいて、セクシールーレットとかいう伝説の産物が生み出されて、ゲラゲラ笑った。
更新がある度、変わらない大好きがあることに安心して、やっぱり大好きだが上書きされた。
でも31日が近づくたびに悲しくて、帰り道に曲を聴きながら泣いて家まで帰ったりした。イヤホンからは変わらず、大好きな5人の声が流れてきた。


卒業、というより、こんなに素敵な形でメンバーの背中を押して、いってらっしゃいが出来たことが今でもうれしい。
発表があってからカウントダウンコンサートが終わるまでずっと、さみしいとだいすきが隣り合わせで、それを全部、好きでよかったで包んでいるような、宝物を抱きしめているような、そんな気持ちだった。
そんな気持ちをずっと抱きしめたまま12月31日は終わって、2023年が来た。

 


怒涛の年末から月日も流れて、日常が戻ってきた1月の後半に、やっぱり突然メールが来た。
メールを開いて、動画配信中!の文字を見て、配信中の意味を理解するのに数秒かかった。
数秒かかって、どうしよう、と思った。
配信のチケットを購入して、みんなで同じ時間に見るものだとばかり思っていた。だからその時間に勢いで見られると思っていた。
ずっと、早く見たい気持ちと、見てしまったらこれで最後になってしまうことへの躊躇いを、ごまかしてきたような1ヶ月だった。
それでもやっぱり早く見たくて、家に帰って、深呼吸をして、自分の手で再生ボタンを押した。

あっと言う間に来てしまった最後の曲の予想はなんとなくしていた。
王道にSexy Zone(曲)か、Congratulationsでもいいし、Change the worldでもいいし、個人的趣味ならSilver MoonやI see the lightでもいいし、Dreamでもいいなと思っていた。
どの曲がきても、思い出が詰まりすぎていて泣いてしまうだろうなと思っていた。
だから5人で歌詞を書いてきた新曲の話が出たとき、正直に言うと、エッと思った。
初めて聴く、まっさらな曲を聴いて、ちゃんと自分がそこに気持ちを乗せられるだろうかと思った。
ちゃんといってらっしゃいができるだろうか、なんというかそういう気持ちで、曲が始まった。
 
5人が円になって外側を向いて始まったその曲は、Sexy Zoneの始まりみたいだった。
ジュニア時代からみんなが深い仲で、時間をかけて、デビューが決まったグループではないSexy Zoneの、年齢の差も、経験の差も、なによりまだみんな幼くて、そうやって始まった1ページ目のことを思ったりした。
 

「今は嘘でもいいから笑ってたいよ」の歌詞でまず最初に、心臓がぎゅっとなった。
ぎゅっとなって、31日を迎えるまでの自分のことを思い出した。
心の底からこれから先の道を応援したいと思えることが嬉しくて、本人の意思を後押しする4人も、全部まとめて大好きだと思っているのに、その気持の裏側に、1㎜でもさみしいと思ってしまう自分がいることがずっと後ろめたかった。
床でひっくり返っていやだ~~~!!!!と大暴れして大泣きしたら、ワンチャンどうにかならないだろうかと、一瞬でも考えてしまう自分が現れたりして、それにまた落ち込んだりした。

みんなが前を向いた顔で、笑顔の動画や写真が更新されるそんな中、31日を前に、更新されたそれぞれのブログのことを、多分これから先も忘れない。
さみしいという言葉がたくさん溢れていたそれぞれの文章を忘れない。
年が明けないで欲しいとか、わがままを言っていいならとか、心の内がたくさん溢れた文章に、ああ、よかった、同じ気持ちだと思った。
同じでいいんだと思って涙が出た。
さみしいの言葉のあとには必ず、「だけど」があった。
さみしいけど、それ以上にありがとうと笑顔で送り出すぞという気持ちがあること、それぞれのブログの文章に、本当に心が救われた。
応援したいの気持ちの隣に、さみしいがあってもいいんだ。
カウントダウンコンサートでは、みんなその通り、そういう顔をしているように見えた。
同じように、それでいいんだと思いながら、私もカウントダウンコンサートを見ることができた。
4人がみんな、ちゃんとあるさみしいの上に、その何倍も笑顔で送り出そうの顔をしていた。
「嘘でもいいから笑っていたいよ」の歌詞に、自分のことよりも相手の誰かを、そういうSexy Zoneの優しさを改めて感じて、涙が出た。


 
サビが終わって5人で横並びになった時、マリちゃんをセンターに、ちびーずをふまけんで挟む形で、結構もうだーだーと泣いていた。
「大人になった今わかった気がした 答えは誰にもわからないことを」と歌う3人に、ちびーずを見守るように、それぞれ歌うふうまくんとけんとくんに。

どうしたら一番いい形で最後の5人を届けられるか、誰にも正解が分からない答えを、たくさん提示してもらった5日間だった。
そうやって、みんなが平等に見られるFCで発表があって、みんなが中継で見られるカウントダウンコンサートで卒業があって、みんなが見られるFCページの無料動画という形で、5人の配信ライブが公開された。
「大人の決めたやり方それが正解なの」と歌っていた5人が、全員は無理だとしても、限りなく全員を置いていかないように、示してくれた答えを、改めて、ありがとうと抱きしめたかった。
こんなに素敵な5人を好きでいられたことを本当に良かったと、だってずっと思っていた5日間だったから。

みんなで肩を組んで歩く後ろ姿は、これまでにも何回も、記憶に残っている場面がある。
その姿の全部が5人ではなかったりもして、ああこれが本当に最後の5人なんだなとそこで改めて実感が強まったりした。


ラップを歌うマリちゃんを見るそうちゃんの顔が、本当に頼もしかった。
お休みをして、帰ってきてくれたそうちゃんは、ますます頼もしくなったな、と思う。
どれだけのつらいこと大変なことを乗り越えて、グループに帰ってきてくれたのか、こちら側が簡単に推し量ることは到底できないけれど
ライブの最後の挨拶をするそうちゃんの言葉は、これまでのそうちゃんの積み重ねてきたものの重さが増して、毎回胸を打たれてしまう。
いい子すぎて、もっと自分を大切にしてねとまで思ってしまう。
自分の中の軸のようなものがしっかりした感じがあって、それをそうちゃんの人柄や優しさが包んでいる気がする。
シンメというものは本人たちよりファン側が取り立てて大事にしがちなイメージだけれど、そうちゃんがマリちゃんの話をするたびに、シンメという単語を口にすることがとてもうれしかった。
シンメという関係を、マリちゃんを、すごくとても、大切にしていることが伝わってきたから。
公演中もずっとそうちゃんがいい顔をしているから、ああもう強くなったそうちゃんだなって、強くて頼もしくなったなって、
その次の瞬間にぐしゃっと歪んだそうちゃんの顔に、涙が止まらなくなった。
ありがとうねって、これまでたくさんありがとうって、デビュー当時の2人と今の2人を、これまでの全部を、まとめて抱きしめたいような、そんな気持ちだった。


マリちゃんを見るけんとくんの視線の強さは、本当にお兄ちゃんみたいだった。
私が私のフィルターを通してみるけんとくんは、まったくこちら側に弱音を見せない人だ。
実はあの時こうだった、という話を、これまで何回も、もう通り過ぎて大丈夫になった後に聞いてきた。
マリちゃんを見るけんとくんの視線には、そういう強さがあった。
力強く前を向いて、鼓舞するようにマリちゃんを見る顔は、本当にお兄ちゃんみたいで、何か話したりないことはという振りに、今身長何センチなのと冗談を入れたけんとくんが、とても大人でスマートで大好きだった。
アイドルという仕事を全うしてきた、グループを引っ張るように走ってきたけんとくんで、それがすごく頼もしくて、グループの最年長ということを、改めて実感したりした。
「愛と献身を与える人」 5人へ宛てたメッセージの中でマリちゃんがけんとくんへ書いた、その通りの言葉を思い出す。
けんとくんの何に対しても100%の全力を、絶対に茶化すことなく受け入れてくれるマリちゃんが大好きだった。
年齢はいちばん離れていても、二人のお互いがお互いを一人の人間として、リスペクトしている関係が大好きだった。
けんとくんがマリちゃんへ宛てた年末のブログを、今でも読み返したりする。
あいしてるよ、からはじまるその文を、お兄ちゃんはさみしいという、一人っ子のけんとくんの心の内を、読むたびに抱きしめる。


ラップを歌うマリちゃんを見る、一瞬抜かれたふうまくんの顔が印象的だった。
ずっとさみしいが顔に貼り付いているようなふうまくんが好きだった。
さみしいとか、もう少しだけとか、そうじゃなくてもそういう言いにくいことを、いつも率先して言葉にするふうまくんが好きだった。
この曲の歌詞のどこを誰が書いたのか、まだ公開はされていないけど、どう考えてもふうまくんによって書かれているラップの言葉が、あまりにもふうまくんで苦しい。
「あたながいたから意味があったページだ」
この言葉を見るだけで、今でも簡単に涙腺が緩んでしまう。

あたながいたから、意味があったページだ。これまでの道のりを、全部丸ごと抱きしめた、こんなに愛にあふれた言葉を、他に知らない。
自分の伝えたい思いを、恋愛の曲に置き換えて歌うということはよくあるけれど、でもこれはそういう曲ではなくて、そういうたとえではない。
この曲に「ごめん やっぱりあなたが好きでした」という歌詞を入れること、それをマリちゃんが歌うということ。
こういう時には絶対にごまかさない、包み隠さず真っ直ぐなふうまくんを、どこまでも菊池風磨だなあと思う。
全員に話を振ったふうまくんに「ふうまくんはどうなの?」と聞いてくれるマリちゃんを思い出す。そういう2人が大好きだった。


勝利くんが、手のひらを大きく広げて、5!をしている姿を、いろんな場面でのその姿を、たくさん思い出せる。
MC中にどうですかと聞かれて、自分のことではなく、グループでどうやってどれだけ考えてこの決断をしたかを話す勝利くんが、どこまでも勝利くんで好きだった。
後ろを向いて涙をぬぐって、前を振り向く勝利くんが、5人を本当に大切にしてきたことを知っている。
年齢的にも立ち位置的にも、ずっと5人の真ん中で、センターに立ってきた佐藤勝利くんを、それぞれが歌いながら、顔を見合わせながら歌う中、目に涙をたくさんためて、一人まっすぐ前を向いて歌っていた勝利くんを知っている。
顔をゆがめないように、ずっと大きく見開いた目に、たまった涙がこぼれないようにしていた勝利くんが、明日笑顔で見送るんだ、絶対泣かないからなと書いていたブログを、私たちは知っている。
5人にこだわって、5人のSexy Zoneを守ってきてくれてありがとう。
これ以上なにが言えるんだろう、5人のSexy Zoneをずっと、大好きで、大切にしてくれてありがとう。


曲の最後にマリちゃんが言う英語の、最後のThank youで、今でも見るたびに涙が出る。
その何倍も思っている、こちらのありがとうが伝わって欲しいと思う。
ブランクを全く感じさせない歌と踊りと、5人の空気感と、変わらないマリちゃんの空気感がずっとずっと嬉しかった。
あまりにも変わっていないから、本当におしまいなことがずっと信じられないくらいだった。
配信ライブの後のマリちゃんが、実感がない、これで最後なのと言っていたように、マリちゃん自身もおしまいなことが信じられないような顔をしていたことが印象的だった。ちゃんとみんな同じ気持ちみたいで、それがさみしくて、嬉しかった。
アイドルになったことを後悔したことは一度もありません。の言葉が、心の底から嬉しかった。
自分が大好きなアイドルから、こんな言葉を聞けるなんて、これ以上に嬉しいことはないなって、大切にその言葉を胸に、頑張っていけるし、頑張ってねと思えることが嬉しかった。
マリちゃんが4人へ宛てたメッセージが、ずっと4人の近くにいたマリちゃんにしか紡げない言葉でたくさんの愛にあふれていたことが、これまでSexy Zoneとして過ごしてきた11年間の答えのようで、宝物みたいだった。
ドイツから日本へきて、アイドルになって、Sexy Zoneになってくれてありがとう。
歌が終わって、5人で肩を組んで、5人の真ん中で笑う、一番背の高い、一番背の低かった、いつまでもみんなの大好きなマリちゃんを見て、改めてそう思った。


最後、これでせーのを言って、Sexy Zoneと言ったら終わってしまうせーのを、
せーのどこからだ、せーのはいっの後だとか散々ワーワーやっていた5人が、肩を寄せ合って、息を吸って、マリちゃんが言ったせーのを忘れない。
それに続いた、もう何回も聞いた、これで最後の5人のWe are Sexy Zoneを忘れない。
Sexy Zoneを最後まで言えなくて、顔をぎゅっとゆがめた勝利くんを、忘れない。
言い終わったあとそれぞれがとてもいい顔をしていたこと、
Sexy Zoneを最後まで言えなかった勝利くんが、目に涙をたくさんためて言ったありがとうございましたを、絶対に忘れない。


画面が暗転して、映像が終わって、いい大人なのに声を出して泣いた。
いい大人なのに、声を出してうえーんと泣けるくらい、大好きな5人に出会えたことがうれしかった。
気付いたら、いくらお金を払っても、絶対に手に入れられない宝物をもらってしまっていた。


最後の曲が、Timelessで、本当に良かったなと思う。
過去の曲に思い出を込めるみたいなことをしなくても、新しい曲にこれから先も続いていく物語があったこと、それがこれまでの11年間の上にあったこと。
全部が全部、大好きなSexy Zoneだった。


これからアリーナツアーとドームツアーの円盤が出て、そのあとにまだ5人旅の映像も控えている。
カウントダウンコンサートや配信ライブや、いろんな全てを、またいちから見返すのが楽しみだ。
5人旅の映像が出たら、そこで5人の姿は一区切りになってしまうけれど、でもそこでピリオドではないことを、最後の5日間をかけて、これでもかというほど教えてもらった。
そういう5日間で、そういう11年間だった。


Sexy Zoneを好きになれた自分の人生まで、全部まるごと抱きしめたいと思わせてくれた5人に、何度ありがとうを言っても言い足りない。
Sexy Zoneを好きになれて本当によかった。
月並みな言葉になってしまうけど、そうでしかないからしょうがない。
これから先5人が進んでいく道が、いつまでもどこまでもたくさんの愛と光であふれたものでありますように。
たくさんのありがとうと、大好きだよを込めて。
Sexy Zoneに出会えた私の人生は間違いなく、5人がいてくれたから意味があったページだ。

 

 

「それでいいよ」ということ

リップヴァンウィンクルの花嫁」という映画の中に、こんなセリフがある。


「コンビニとかスーパーとかで買い物してる時に、お店の人があたしの買った物をせっせと袋に入れてくれてる時にさ、あたしなんかのためにその手がせっせと動いてくれてるんだよ。あたしなんかのためにお菓子や総菜なんかを袋につめてくれてるわけ、それを見てると胸がぎゅうっとして泣きたくなる」


当時映画館でこのシーンを見た私は、このセリフがめちゃめちゃに分かると思ってめちゃめちゃに泣いた。

 

人に認めてもらった自分だけが自分ではないのにということをよく思う。
人に自分を認めてもらうと、自分の輪郭はとてもはっきり鮮明になる気がする。
それだけが全てではないのに、他人の目を無意識に気にして、その評価を元にした自分を自分の全てにして疲れてしまったりする。
自分で認めてあげた自分も、間違いなく紛れも無い自分なのに。
自分で自分のことを認めて、大切にできたらいいのに。


「素敵な友達の話より 君の事もっと聞かせてほしい」
と歌うSexy Zoneの「それでいいよ」を聞いた時、真っ先にこの歌詞を聞いて涙が出てきた。
あたしなんかのために買い物したものを袋につめてくれることに泣いていた映画の登場人物と、それを見て泣いたあの日の自分を思い出した。


「それでいいよ」というタイトルの曲が今回のアルバムに入ると知ったとき、でもそんな簡単に「それでいいよ」と言われても「そっか~それでいいか~!!」とはならんぞと思っていた。
全米が泣いた!観客の99%が涙!みたいな煽り文句で宣伝された映画を、泣いてたまるかと見るような気持ちで「それでいいよ」を聞いて、Aメロのこの歌いだしを聞いて、私は簡単に99%の全米になった。

自分で自分の評価を無意識に下げて、それを盾に「しょうがない」で自分を守ったりして、
でも自分で自分のことを唯一褒めてあげたいところに「Sexy Zoneを好きになった自分」というのがある。

私はこれまでわりと、自分が好きなものを相手に伝えることが得意ではなかった。
自分の話をするのが好きではなくて、質問されことをそっくりそのまま同じ質問で相手に返すみたいなことをよくやっていた。
好きの対象から、自分を推し量られることが嫌だったからで、それは結局他人の目に映る自分を守るためだったりした。

「素敵な友達の話より 君の事もっと聞かせてほしい」

 

POP×STEP!?というアルバムは、極東DANCE(極東はヨーロッパなど欧米から見た日本)という曲がリード曲になっているように、2020年オリンピックが開催される日本の、東京という街とSexy Zoneの今が凝縮されたオシャレでポップなアルバムになっている。
曲を提供して下さっているのがバリバリの攻めを感じられるイカした方々の揃い踏みで、アルバム1枚が洗練されたシティポップといった感じにまとまっていて、
その中に愛とか恋とかの歌が多いのは勿論だけれど、この時代のこれを聞く「あなた」に寄り添うような歌詞がとても多い印象を受けた。

「まるさんかくしかく HAPPYになれるカタチ ひとつ見つけよう 難しく考えなくていい 宝探しをしよう」
「人に怒らず 無駄に焦らず 生きるのは難しいね」
「暗闇こそ自分のこと見つけやすいんだよ」

特に20歳を目前にして初作詞に臨んだマリちゃんのソロ曲であるall this timeなんかは、マジでここに人生の全てが書いてある(バカデカ主語)(だけどこれガチ)

 

Sexy Zoneを好きでいてよく思うのは、Sexy Zoneのそれぞれ一人ひとりは、たとえば周囲の友達だったり、家族だったり、ほかのメンバーだったり、そして何より自分自身を、ちゃんとしっかり、愛しているなということだ。
人を思いやることは勿論だけれど、自分を自分で愛することは、生きていく度に難しい。
でもSexy Zoneを好きでいることで、私は私を、もっと好きになりたいと思うことがとてもとても増えた。

Sezy Zoneのファンの中で「Sexyだった」「Sexyではなかった」といったように「Sexy」という単語が使われる事が共通認識のようにあって、
これは自分の行いがスマートで美しくて正しいあり方だったかといったような意味で使われているけれど、
自分のことを愛することが、なによりの「Sexy」だなということを、
それがSexy Zoneを応援する上で1番ふさわしい自分のあり方だということを、好きでいる年月の数だけ、積み重ねて思うから。

 

健人くんがバラエティ番組でイライラしてストレスが溜まったらお風呂の水面を思い切り叩くと言っていたことがある。
「嫌われたくない気にしすぎて ひとりでお風呂で泣いたりして」
と歌う健人くんのパートに、そのことを思い出したりする。
誰にだって上手くいかない日があって、お風呂で泣いたりお風呂の水面を叩いたりする夜がある。
それでも夜は明けるけれど 君にとってはツラいんだろうな」という歌詞が「ぎゅっと」という曲にあって、明けない夜は無いけれど、明けて欲しくない夜というのは山ほどある。
それでもそういう夜に寄り添ってくれる大切な曲や、大切な人がいたから乗り越えてこれたことを、改めて気づかせてくれたのが今回のアルバムで、Sexy Zoneで、「それでいいよ」という曲だった。

 

何個でも言えるくらい知ってる
君の素敵なとこ
僕の眼に映る
世界でたったひとつ輝く誇りだから

というサビの歌詞
「君は僕の眼に映る世界でたったひとつ輝く誇りだ」と歌うSexy Zoneが、でもどう考えても、自分の眼に映る世界でたったひとつ輝く誇りだということに泣いてしまう。
何万回の「それでいいよ」の言葉より、私の目に映る世界を輝かせてくれるあなたたちが、なによりの自分の肯定になっているということに胸がいっぱいになってしまう。

まだ君が知らない君に続いていく旅を、
まだ私が知らない私へ続いていくその景色を、
これからもSexy Zoneと見ていけたら良いなと思うし、そう思わせてくれるSexy Zoneが大好きだ。


「それでいいよ」を聞いて溢れてくるたくさんのありがとうのこの気持ちが、だからせめてこちら側からもたくさん伝わって欲しいなあということを思う。

自分のことをもうすこし好きになった自分で握りしめたペンライトの光が、Sexy Zoneにとっての「それでいいよ」になって欲しいとかそんなことを思いながら、今日も延々と収録曲をリピートしてしまう。


「離れてしまっても きみに届きますように」

 

ツアー楽しみだね!!!!!

 

 

 

 

 

防振双眼鏡が酔わなくてサイコーだった話

 

Sexy Zone Concert Tour 2019 「PAGES」がいよいよはじまったよーー!!!(恋がはじまるよーー!!!)
今回、楽しみにしていた初日に初めて防振双眼鏡を持って参加してきました。
購入にあたり読ませて頂いた様々なブログがとても勉強になったので、私も防振双眼鏡の購入から使用までの思い出を残しておこうと書いてみましたが、ビックリするくらい参考にならなくてビックリしているという思い出日記です。


 

 

1.きっかけ

きっかけは年末のカウントダウンコンサート。
その年の自分の総括大運試し大会みたいなところのあるカウコンに、昨年末は運よく行くことができた。

私がこれまで使っていたのは8倍の5000円そこそこのいたって普通の双眼鏡。
防振双眼鏡の事は勿論存じ上げており、ジャニオタ憧れの神器のひとつと言うような認識だった。
防振がブルーレイ画質という噂はかねがね聞いていたし、使ってみたいとは思うけれどまあ手持ちの双眼鏡でも十分見られるし…
ということで、防振に対しては絶対手に入れたいという思いよりは、届きそうで届かない憧れの先輩みたいな、そんな印象があった。

 

さてカウコン当日。

久しぶりにドームで見たセクシーはやっぱり最高だったし、分かってはいるけど次から次へとジャニーズだけが出てくるカウコン、マジですごくてマジですごい。(思考能力3歳)
いつも通りペンライトを片手に構え、双眼鏡を片手に覗き続けるスタイルでステージを見続けた。
問題はここから。いよいよ年明け、ハッピーニューイヤ〜〜!!
をする頃にはすっかり

あ~~~頭いたい~~~~

が始まっていた。どちらかと言えば酔いやすい方で、双眼鏡を見続けていると頭がガンガンしだして気持ち悪くなるということがよくあった。

休み休み見たり、しばらく休憩したりと間を置けばいいのだけれど、絶対見逃したくない諦めたくないみたいな欲と頭痛との闘いみたいなデスマッチを、これまで私は頻繁にコンサート会場で主催・開催していた。

アリーナでもそうなるのでドームだと尚更。
ドームのスタンド席から距離のあるセンターステージの1人や1グループに焦点を当てて双眼鏡を覗き続けるというのは結構酔う。
そこそこに酔いながら覗き続けていたら突然視界からマリちゃんが消えた時は本当に血の気が引いてこちらが倒れるかと思った(本当になにもなくてよかった!!)(結果マリウスは健康!!)

 

そんなこんなで、健人くんとヒガシ大先輩のセクシーサンキューも聞けて、今年も間違いない、ジャニーズ事務所ありがとうLOVEジャニーズという気持ちと、諦めない強い心で見続けた頭痛とで終演後はふらふらになっていた。

そうかドームはこれだけ酔うのか…と改めて確認すると共に、春のSexy Zoneのツアーを思い少しだけ気が重たくなった。
ドームほどではないにしろアリーナでもそれなりに酔うしなあ…
まあこればっかりはな…酔わない双眼鏡があればいいのになあ……

 

 

 

それが防振双眼鏡なのでは????????

 

 

 

深夜過ぎの電車で、私は突然に水とウォーターが一致したヘレン・ケラーと化した。サリバン先生もビックリ。
防振双眼鏡を買うしかないと心に強く誓った瞬間だった。

 

 

2.購入

防振=ブルーレイ画質というイメージが定着しすぎていたため、肝心なことを失念していた。

防振双眼鏡ってそもそも「振」を「防」する双眼鏡なのだ。
「振」を「防」するからブルーレイ画質で見ることが出来る。
大前提の部分がごっそり抜け落ちていた。
そうなってくると俄然欲しい。酔わないでコンサートが見たい。
早速新年早々から私は防振双眼鏡に関するブログなどを読み漁る妖怪となった。

 

その結果購入したのはジャニオタの防振といえばでお馴染みCanonの10倍。

Canon 双眼鏡 10×30 IS ? BINO10X30IS2

Canon 双眼鏡 10×30 IS ? BINO10X30IS2

 

 

Canonを買うに当たり悩んだ大部分はこの3点

・大きそう(荷物邪魔じゃないのか)
・重そう(1公演2時間半も持ち続けていられるのか)
・防振スイッチ押すのだるそう(押しっぱなしバンドでもいいけどそれもどうなの)

 

Canonともうひとつどちらにしようで悩んだのはビクセンのこちら

ビクセン(Vixen) 防振双眼鏡 ATERA H12x30(ベージュ) 12倍 30mm 11493-1

ビクセン(Vixen) 防振双眼鏡 ATERA H12x30(ベージュ) 12倍 30mm 11493-1

 

 Canonより軽く小柄な上、防振スイッチは自分で押し続けなくてもスイッチは手動で入/切ができるという痒いところに手が届きまくった一品。

 

なぜこれを選ばずCanonを選んだかといえば、防振機能がCanonに比べると多少弱いというかピントがじわじわ合う感じらしいという事と、普通に黒い双眼鏡が良かったというその2点。

防振を買うならそれと同等の値段帯でもっと視野の明るい双眼鏡を買った方が捗るという意見もよく見かけて、なるほどなあと心が揺らいだりもした。
ごもっともだな...と思いつつ、そもそも今回は酔いたくない一心で購入に臨んでいるため、総合的に見て防振の面で優れていそうなCanon、君にキメた!という事で溜まっていたポイントなどを総動員していざ注文。

開戦の時を待った。

 

 

 

3.実戦

宮城で無事に迎えた初日を防振双眼鏡と終えこのブログを書いているわけだけれども、結果的にいうとめちゃめちゃ良かった

 

オタクはすぐに実質無料とかもっと早く買えばよかったとか言うけど実質無料だしもっと早く買ってればよかった(チョロ)

まず一つ目に気になっていた大きさ

届いた時も思ったけどやっぱり大きい。大きくてちょっと笑った。
これが荷物として増えるのは邪魔だなとは思ったけれど、うちわを入れているカバンに入れてしまえば実際はそうでも無いかなというか、ペットボトル多めに持ってきました位の感覚で、そこまで気にならなかった。

財布と携帯とペンライトだけ小さいカバンにいれて現場に行きますという人には確かに邪魔な大きさだけれど、普通に小さいカバンとうちわ用のカバン2個持ちで現場に行くような人だったらそこまで苦痛になるほどの荷物にはならないかなという印象だった。

 

二つ目に重さ

ジャニーズのファンをやっていて思うのはコンサート中に腕が2本しかないのってつくづく足りない。(神様もビックリの苦情)
うちわを固定で持つ人、うちわにペンライトを持つ人、ペンライトだけ持って踊りたい人、メモに勤しむ人、野鳥の会ジャニーズ支部の人。みんな違ってみんないい。(みつを。)

今回約2時間半、ペンライトやうちわを入れ替わりで持ちつつも、ほぼ首から下げた双眼鏡を手に持っていた感覚としては、重さや辛さはそこまで感じなかった。
これはコンサート中のアドレナリンが出まくったハイテンションマジックによるところが大きいと思うし、私の手がわりと大きく安定感が抜群というところが大きいと思う。

 

もうひとつの懸念であった防振スイッチ押すのがダルい問題。
これは百均で購入した弁当バンドにボタンを縫い付けてつくった「防振スイッチ押しっぱなしバンド」によって、全くノンストレスで見続けることが出来た。
(セクシー担的には押しっぱなしバンドのために生まれてきた説があるウェルセク会場限定バンドもオススメ)

前述の通り、私は手が悲しいくらい大きいのでバンドがなくても双眼鏡を覗きながら防振スイッチを押すことも容易く、なんなら途中からは防振片手に持って覗きながら片手でペンライトを降ったりしていた。

ストラップをつけて首から下げているだけでも重たくて首が痛くなるという感想も見ていたので心配していたけれどそんなことも無く。(私が頑丈すぎる説もある)

手が小さくてもっと小柄な人だったら気になる重さだなとは思うので
・ストラップを一眼カメラ用のしっかりしたものに付け替える 
・首ではなくてショルダーバッグを肩掛けにして使う感じで双眼鏡をさげる
などなど工夫をすれば持ち続けても全然苦になる重さではないなというか、我慢できる範囲なのではというのが個人的な感想だった。

 

そして最大の酔う酔わない問題。

2時間半覗き続けた結果、全然酔わない。
防振スイッチを押した途端に分かるんだけど本当に手ブレがピタっと止まる、そのノンストレスが凄い。
むしろ今までどれだけ手ブレしていたのかと驚きを隠せない。
私はもしかして今まで双眼鏡ごしに手ブレという概念を見てきたのではないか?(手ブレという概念???)

そして思わぬ副産物というか想定外のめちゃめちゃ良かったポイントが手ブレをしない故にピントがめちゃめちゃ合わせやすい!!!!

 

双眼鏡をコンサートで使っている人は一公演中にどれくらいピントを合わせ直すんだろう。
ジャニーズのコンサートはメインステージからセンステ、バクステ、トロッコまで、ありとあらゆる所に対象が動くのでその都度合わせ直す必要があるとは思う。
それを差し置いても私がピントを合わせるのがド下手芸人すぎて、毎回これにはヤキモキしていた。

目薬をさしてもコンタクトがすぐにかすんでくる個人的ドライアイ問題もあるが、同じ位置で歌っている一曲中でもベストのピントに合わせられない事が多々あり、それがものすごくストレスだった。
ピントを合わせてたら曲が終わってたみたいなことが本当に度々あって、ピント合わせに来た人みたいになっていた。本当に悔しい。

それが今回防振を使ってみたらめっちゃスッと合う!すぐ合うからすぐカッコイイ!!!ピント即Death!!!!みたいな事になる。
コンサート中は興奮もあって心のピントもブレブレな上、手ブレもあって目も霞むしそれはピントも合わないよなあって事をしみじみ実感。
ピントを深追いしないようにを心がけてはいたけれど、手ブレしない分、深追いせずともピントが瞬時にベストに合うってめちゃめちゃ見やすい!当たり前だけど!!!!

 

そしてやっぱり何より酔わないで頭が痛くならずに最後まで見続けられることの素晴らしさが本当にすごい。
酔いたくないから前半からあまり多く双眼鏡は使わないようにしようとか、ここぞという時にだけ使おうだとか、出し渋っていたこれまでの日々はなんだったのか。

そんなに酔わないタイプの人だったら、「防振」に強くこだわらなくても視野の明るい双眼鏡だとかもっと軽いビクセンとか、選択の範囲はより広くあるかなと思うけれど、双眼鏡による酔いに少しでも悩んでいる人には本当にオススメしたい...と思ったのが今回使ってみての感想だった。

 

8倍から初めて10倍を使ってみた感想としてはそこまでびっくりするほど差はないかなという程度で、アリーナで使うには丁度いい倍率だなという感じ。
ドームを中心に使うのであればもう少し上の倍率でもいいなと思ったのでその辺りも使う人の鑑賞スタイルによるかなという印象だった。

 

噂のブルーレイ画質というのは噂通りもう本当にブルーレイ画質で、バクステ寄りのスタンド席というメインステージからはやや遠い席だったのだけれど、防振のおかげでもう永遠に楽しかった。

双眼鏡によって切り取られた一部分だけを見ているとなんだか現実感がないというか、そういうのが嫌で私も最初は使ってなかったりした双眼鏡。

でも防振だと常にブルーレイというか、常に自分の視界よりクリアというか、常に現実と臨場感がリアルタイムで永久タイムセール!!!みたいな。
これまでは頭が痛くて止むを得ず双眼鏡を下ろしていたけど、永遠にブルーレイ画質で酔わずに見れてしまうため、たまには全体も見たいと意識して双眼鏡を下ろすくらいだった。
頭が痛いの我慢して見続けていたこれまでの日々~~みてる~~~???
あまりにSexy Zoneがサイコーな上、健人くんハチャメチャカッコよくてもうどうしたらいいんだか分からなくなってしまった。
最後に勝利くんが大きく手を開いて5本の指をヒラヒラしたその姿もくっきりしっかり胸に焼きついて、本当に本当にめちゃめちゃ楽しくて素晴らしい初日だった。

 


重さや大きさに関しては私がお母さんに頑丈に産んでもらった説も大きく、個人差がかなり大きいとは思うのでやっぱり実際にお店で触ってみるのがいいかなという事と、双眼鏡に何を求めるか、何なら我慢してもいいかを把握しておく事がすごく大事だな~~という事をとても実感したのが今回の学びだった。
多少重くてもいいから双眼鏡での酔いを無くしたいという観点では防振買ってめちゃめちゃよかった~~〜ということに尽きる、今回の忘備録でした。お墓まで添い遂げたい。

 

 

そんな防振以上にオススメなSexy Zoneのニューアルバム「PAGES」、良曲の玉手箱でめちゃめちゃお洒落でSexyで、可愛いあり、カッコイイありで最高でサイコーな1枚なので本当にオススメです。(アルバムオススメブログ)

 

 

It's fantasy~SEXY ZONE repainting tour 2018によせて~

1秒のどんなタイミングも
違ってたら僕ら出会っていないかも
果てしなく広がるこの宇宙で
たったひとり君をみつけたよ
それは銀河が僕にくれた奇跡
 
こんなの私たちと自担の事じゃんって事を、アルバムが出た時にツイートした。
アルバムを買ってFantasy~1秒の奇跡~を初めて聞いて思ったのは、これはコンサートで見たら絶対に泣いちゃうやつだって事だった。
 
‘’君の瞳の中に見えるよ、僕を照らす光‘’
という歌詞に、思い出すのはやっぱりどうしたってコンサートの事だった。
コンサートに行って、沢山の照明、スポットライトに囲まれて、ステージの真ん中で、沢山の人の沢山のペンライトに囲まれて歌うアイドルを見る私たちというのは、どこまでいっても「アイドルを見る私たち」だなという事を、時たま、思ったりする。
テレビで見るよりよっぽど近いのに、よっぽど遠いという事を実感したりする。
 
でもその群集であり、ひとかたまりである私たちの、ひとつひとつの「君の瞳」に、僕を照らす光が見えるよという歌詞はなんだかもうそれだけで勝手に胸にくるものがあって、
まだコンサートも見ていないし、なんならセットリストに入るかも分からないのに、曲だけ聞いて勝手に演出を想像しては、コンサートに行く前から感を極まらせたりしていた。(早い)
 
だからそんな想像だけ膨らませて、これでお手振りトロッコ曲だったらウケるなくらいに思いながら入った初日に、僕を照らす光であるところのペンライトを「消して」という指示の後、カウントダウンがゼロになった瞬間に流れたFantasyのイントロと、そこからの約4分間を、私は忘れられないし、忘れたくない。
 
ペンライトも照明も消えた真っ暗な会場の真ん中で、5人だけが光の柱の中にいた。
それはなんだかもうまるで夢みたいで、でも紛れもなく現実で、そこには私たちが入り込む隙など1ミリもなくて、だからこそ胸がいっぱいだった。
 

 

https://twitter.com/mrnpnmgmg/status/9775526481309真っ暗な会場で、センターステージの頭上から真っ直ぐ降り注ぐ無数のレーザーに囲まれた5人に息を呑んでしまった。
明かりを消したペンライトを持ちながら、うちわを振っても見えない暗闇の中で、光の円柱と、その光に囲まれた5人をただただ見ていた私たちは、目の前の光景に体丸ごと持っていかれたような、そんな感じがあったと思う。
少なくともそれだけ、私はその光景に息を呑んでしまった。
 
光の円柱が消えて、その外へ5人が出てくるところから始まる演出の何がよかったってそれはもう全てだけれど、なによりだったのは、いつもならペンライトで照らす側であるこちらではなく、5人の方が、衣装についたライトで客席を照らすという事だった。
当たり前のように「僕を照らす」沢山のペンライトに囲まれてこの曲を歌う演出ばかりを想像していた。
沢山の光の中でこの曲を歌う光景はさぞかし綺麗だろうなとかそういう事を思っていた。
だからまさかこちらが照らされる側になるなんて事は微塵も考えていなかった。
その光景は自分が想像していた光景なんかより何倍も、嘘みたいに、夢みたいに綺麗だった。
「僕を照らす光」ではなく「僕が照らす光」が映った瞳がステージから見えているのかと思うと、こんな特別な事ってあるのかって、胸が熱くなってしまった。
 
彗星が彼方を駆けてく
終わりのないモノはどこにもないけど
君を想う気持消えないよ
もし何億光年離れても
また何度も君を探しにいこう
 
終わりのないものはどこにもない
アイドルがどんなに身を削ってアイドルをしてくれたとしても、オタクは勝手なのでいつだってその好きを勝手にやめたりする。
担降りブログを書くし、オタクを卒業したりする。
でも言いたいのはそういう事ではなくて、少なくともコンサートのその時その瞬間、
新しく買った洋服を着て、いつもより頑張って化粧をして、緊張しながら席について、会場が暗くなった瞬間に、作ってきたうちわの柄を握り締めるそこから2時間半の好きという気持は、紛れもなくその瞬間の、一生分を掛けた好きだなと思う。
その瞬間の一生分って日本語として成り立っていないし、そんなもの一生ではないと言ってしまえばそれまでなのだけれど、
でも私はその数時間に、会場の至る所から、沢山の人の一生分を傾けた「好き」が爆発して渦巻いているコンサートが好きだ。
たとえそれがその瞬間の、永遠ではない刹那的な好きであったとしても
その真ん中で、その瞬間の爆発した「好き」を一身に浴びて輝いているアイドルが好きだ。
一生なんてないかもしれない、でもその光景を見たその瞬間、間違いなく紛れもなく「君を想う気持ち消えないよ、もし何億光年離れてもまた何度も君を探しに行こう」と思った気持ちもまた、誰が何と言おうと真実なのだ。
 
沢山のレーザーの光と、沢山の渦巻いた好きを浴びながら「僕の瞳の中に永遠を誓う光をみつけて」と歌う5人に、だからこれでもかというくらい、胸が熱くなってしまった。
 
電子音が畳み掛けてくるみたいな間奏と、それに合わせて衣装についたライトでこちらを照らす時の重低音が、まるで心臓の音みたいだった。
間奏で、5人が暗闇のこちら側を煽る場面があった。
なにせ目の前の光景に体というか魂ごと持っていかれているので、はじめこそまだ体も魂も離脱中でついていけなかったりもしたけれど、それでも最終公演に、光の中の5人に向かって、暗闇の中から拳を突き上げたあの時の気持ちを、なんて言い表したらいいんだろう。
光の消えたペンライトを振り上げながら飛び跳ねたあの時間は、一瞬の煌めきみたいで、永遠ではないこの時間が、色を変えて切り替わり続けるレーザーと、響き渡る電子音と共にガンガン胸に響いてきて、なんだかひたすらに胸がいっぱいになってしまった。
光の円柱から出てきた5人は確かに目の前にいて、でもずっと遠くにいて、でもとても近くにいた。触れられそうで触れられない所で、こうやっていつまでも輝いていて欲しいという事を思いながら、半泣きでめちゃめちゃに拳を振り上げた。
 
曲のおわり、光の柱の外側から、また光の柱の内側へ戻っていく5人の姿が印象的だった。
5人だけが光の中心に集まって、5人がそれぞれ同時に上を見上げて曲が終わるその瞬間の、それぞれの横顔に。
 
Sexy Zoneのファンは他のジャニーズのファンよりダントツでSexy Zoneを褒める時に宇宙とか銀河とか壮大な単語を持ち出す(というか私がもっぱら持ち出す)
ファンがあまり好きの対象を神格化してしまうのは褒められた事ではないのかもしれないけれど、でもだってしょうがない
レーザーに包まれる5人を、まるで祈るような気持で、胸を詰まらせながら見ていたあの4分間の会場はだってどうしようもなく、紛れもなく宇宙だったから。
 
手が届きそうで、やっぱり手が届かないところで、これでもかというくらい輝いているSexy Zoneが大好きだ。
新しい色を塗り重ねて、光の真ん中で、これまでにない新しい光みたいに光っていたSexy Zoneの事が、改めて、これまでの何倍も大好きだと思ったツアーだった。
オタクはいつだって勝手なので、だからまっすぐ上を見上げた5人のその横顔に、5人がいつまでも幸せでいられますようにとか、そういう事を願ったりしてしまう。
 
これからまた、沢山のスポットライトと、沢山のペンライト、沢山の光の中へ戻っていく5人の物語が、これからもいつまでも、美しいものでありますように。
 
君の瞳に映るステージから見た光が、いつまでも幸せにあふれたものでありますように。
 
 
 
SEXY ZONE repainting tour 2018、お疲れさまでした!